都市部大学の入学者を抑制したり、抜本的な大学入試改革であったり、大学教育に関わる環境がここ数年で大きく変わろうとしています。職業に特化した「専門職大学」という新たなカテゴリを創設しようというのも、そんな大きな変化の一つです。でも、「専門職大学」というものをつくるなら、大学とは何かを、もう一度ちゃんと議論しなおす必要があるのではないか、なんてことをけっこう本気で思ったりしています。
以下、朝日新聞デジタルより。
職業教育に特化、19年春に専門職大学創設 改正法成立
質の高い職業人を育てるための「専門職大学」の創設を盛り込んだ改正学校教育法が24日の参院本会議で可決され、成立した。2019年4月から開設される見通し。大学の制度に新たな教育機関が追加されるのは、1964年に短大が創設されて以来55年ぶり。(後略)
わたしがお仕事をいただく大学の大部分は私立大学になるのですが、偏差値や知名度に関わらず、どの大学でもキャリアサポートや就職実績といった情報を大きく謳います。
また、学部教育の情報を伝える切り口も、この学びのどこがおもしろいかより、これを学ぶことが将来どのように役に立つかという切り口で伝えることの方が圧倒的に多い。誤解を恐れずにいうなら、大学の学びは、学びたいがための学びではなく、将来のための学びなんですね。
そして、当然ですが、どの大学の学科であっても専門とする領域があり、大半の学生は専門領域と関連する職業を(漠然と)めざして進学してきます。
こういった状況があるなか、「就職を目標として専門領域を学ぶ大学」と「専門職大学」の差はどれほどあるのでしょうか。また、この微妙なグラデーションの差をつけることの意図って何なのでしょう。わたしがしっかりと情報収集をしていないこともあると思うのですが、正直ぴんときていません。
それに、とても月並みな感覚なのですが、大学ってそもそも学問をするところだと思うんですね。「就職を目標として専門領域を学ぶ大学」であっても、学問することは、直接ないし間接的に働くうえで(それに生きるうえで)意味がある、そういう大前提があったように思います。そうであるからこそ、高卒より大卒の方が就職に有利という現状があるわけです。
でも、「専門職大学」は専門学校の教育内容を厚くしたものであって、根本的に大学とはスタンスが異なるものです。極端にいうなら「専門職大学」は学問をする場所ではなく、働くうえで必要な知識・能力を身につける場所であり、それが専門職になる近道だと国からお墨付きをもらうことになります。大学と名前はついていますが、アンチ大学的な存在なのです。専門職として働くうえで、学問はいらない、そう言われているようなものです。
実際のところ、専門職に就くうえで学問が必要なのかといわれると、自分の仕事以外は深くはわからないので何とも言えません。でも、わたしに関していえば、学生のときに学んだことは、知識として直接役には立っていないけど、間違いなく糧になっています。
なぜ学問をするのか? 研究者以外は学問なんていらないのか? そもそも何をもって「大学」というのか? 「専門職大学」は時代の要請に応えているのだろうけど、積み上げられたものを感じさせない“点”のような存在です。これについて、しっかりと議論し、その結果を社会に浸透させないことには、大学という存在が今後ますます軽視されるきっかけになるのではないかと危惧します。
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