「難民」、この言葉は今の世界を読み解くために欠かすことのできないキーワードになっています。日本も難民を受け入れるかどうかを、たびたび議論され、明確な答えというのが出ていないのが現状です。
この難民問題を解決する、とまではいかないまでも、もしかしたら一歩前進させるかもしれない。そんな予感をさせてくれる出来事が立命館アジア太平洋大学でありました。
以下、朝日新聞デジタルより。
APU、シリア難民受け入れ大学にJICA選定
別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)が、内戦の続くシリアの難民を留学生として受け入れる国内11大学(16専攻)の一つに登録された。政府の中東支援策の一つとして、国際協力機構(JICA)が受け入れ先の大学を選んだ。(後略)
難民の受け入れを議論するとき、まず懸念として挙がるのが治安の悪化です。そして、治安の悪化が起こる原因をつきつめて言ってしまえば、それは、互いを知らないから、のひと言に尽きるように思います。わからないから反発するし、わかるものだけで群れてしまう。結果、一人ひとりの人間が見えなくなり、グループでいがみ合ってしまうのではないか、そんなふうに思うのです。
もしそうなのであれば、今回のように大学という“学びの場”で、難民を受け入れるというのは、とても意義があることです。
“学生”たちの本分は学ぶこと、つまり知ること。そして、大学は学びたい(知りたい)という人が集まった場です。そんな場所に難民が“学生”としてくる。お互いがお互いについて学ぶのに、こんなに適した環境・身分はないように思います。
私自身は難民を受け入れるべきだとか、受け入れるべきではないとか、そういったことを語れるほどの知識はありません。でも、今後この問題がますます大きくなっていくのであれば、感情論ではなく建設的に議論をしていくべきだと思うし、それができる人が増えていくべきです。
さらにいうと、学者による世界情勢を踏まえた全体的な話はテレビやネットで目にしますが、肌感覚で理解し、語れる人がほぼいないように感じます。そりゃ難民を受け入れていないんだから、当然なんですけどね。でもそういう視点がないと、市民の感覚にまで議論が落ちてこないんじゃないでしょうか。
大学が受け入れられる難民の数なんて本当に微々たるものです。でも、ここからしっかりと議論できる人材がでてくるなら、肌感覚で語れる人物があらわれるなら、小さいかもしれないけど、とても大きな一歩です。立命館アジア太平洋大の取り組みには、そんな期待を感じさせてくれるものがあります。
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