2017/02/05

軍事研究に大学はどう関わるべきなのか?


大学が軍事研究を受け入れるべきか否かについて、ここ最近、大学で活発に議論されています。研究費獲得という意味では魅力的ではあるものの、いろいろな方面に懸念があるのも事実。関大や法政大では防衛省補助金への申請を大学として認めないという声明も発しています。

以下、朝日新聞デジタルより。

軍事研究、大学はどう向き合うか 学術会議が4月結論 
大学などの学術界は、軍事研究とどう向き合うべきか――。日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」が昨年6月から計16時間以上議論し、今月16日に中間とりまとめを公表した。今後、2月4日の公開討論会を経て4月の総会で結論を出すが、これまでどんな議論が行われてきたのか。(後略)

リンク先の記事は少し長いですが、読んでみて感じるのは、やっぱり難しい問題だなぁという月並みな感想です。軍事研究に関わると「学問の自由」が脅かされるのではないか。また逆に「国の自衛のための研究は国民としての義務」なのではないか。そもそも「軍事技術につながる研究と、私たちの生活で利用する民生技術の研究は区別できるか」などなど。 

記事から感じとれる雰囲気だと、大きな方向性としては、軍事研究と大学は一定の距離を置こうとするように受け取れるのですが、でもおそらく全員が納得する答えというのは出ないように思います。

そもそもこういう問いに答えなんていうものはないのでしょう。それに、決めないことこそが大切なのかな、という気もします。決めないというのは、常に考える余地のある状態を維持し続けることと同義です。決めてしまうとそこで思考はストップしてしまいます。

世界情勢が不安定な現在、議論の前提となる条件から大きく変わってしまう可能性もなくはありません。そうでなくてもこのナイーブな問題は、常に議論し、常に検証し続けるべき問題なように思うのです。

また、すでにいくつかの大学では、受け入れないと声明を出しているところがあります。もし最終的に大半の大学が受け入れないと決めてしまったら、それは逆にとてもリスクの高い状況に陥ってしまうのではないかと思います。

というのも、軍事研究は国の安全に直結する研究でもあり、国としては何かしらのかたちで推進はするでしょう。それが民間なのか、国の研究機関なのか、それとも海外と協力することによってなのかはわかりません。でも、営利企業であったり、国が自前で進めてしまうと、何か間違った方向に進もうとしたとき、抑止できるものがないように思うのです。

大学という、営利企業ではなく、自立した組織(国立はかなり国に近くはありますが…)が独自のチェック機能を持ちながらしっかりと関わっていく。そうすることで、大学は “枷”としての機能を果たすことができるはずです。そのためにも、単に拒絶するのではなく、一定の距離を保ちつつも、ある意味では積極的に関わりを持って欲しいと、わたしは思います。

あくまでも記事を読んだだけでの感想なので、もしかしたら素っ頓狂なことを書いてしまったかもしれません。けど、この議論は、国にとって大きなことだし、大学とはそもそも何のためにあるのかといった根本にも関わることでもあります。やっぱり読んでしまうと考えずにはいられません。4月に結論が出るとのことなので注目です。

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