2015/02/08

過保護は子どものタメならず、という視点で考える就職活動



私が就職活動をしていた2000年代中ごろは、就職氷河期以上に厳しい時代といわれていて、まわりは四苦八苦しながら就職活動をしていました(少し記憶がおぼろげですが……)。でも、今や時代は2015年。就職活動への大学の対応は当時と少し変わってきているようです。

●京都産業大学「2014就活祭
●明治大学「就職活動直前!セミナー

上に掲載した二つの取り組みは、いわば学生たちが就職活動を真剣にはじめるための開催セレモニー。これは3回生たちにハッパをかけるとともに、大学が学生たちを応援することを宣言する場だともいえます。

私が学生だったときの就職活動はあくまで個人戦で、いじわるに言うと、いかに他の学生を出し抜いて先に準備をしておくのかがキモでした。しかし、今の就職活動は個人戦といよりも団体戦に変わったようです。

私が学生だったときは、まわりがはじめだして慌てて就活の準備をはじめたのですが、このようにイベントがあるとスイッチを入れるべきタイミングがいつなのかが明確にわかっていいですね。それに、大学側の熱意もしっかりと伝わってきます。

でも一方で思うのが、就職活動ってそういうものなのか?という疑問。就職というのはゴールではなく、新たなスタートです。そういう意味では、大げさに表現するなら“自分の手で勝ち取らなくてはいけないものなんですよね。それが自信につながるし、自分がなぜこの仕事をするのかという理由にもなります。

お膳だてが過ぎると、こういった就職活動がもつ意味合いが弱まるような気がします。それに近年、附属高校からエレベーター進学する学生や、AO入試や推薦入試で進学する学生が増えており、こういう学生たちは受験という壁を一つスルーしているわけで、さらにもう一つ就活という壁をスルーしてしまうのは、あまり良くないことのように思います。

就職活動を手厚く支援するのは、学生のためなのか、それとも実績をアピールしたい大学のためなのか。またどこまでが学生のためで、どこからがそうでないのか。これは明確な答えがでない問題です。でも少なくとも思うのは、単に支援が手厚いのがいいわけでもないし、就職率が高いのがいいわけでもない、ということです。

そして、どういう支援を行っているのかも大事ですが、どういう考え方で支援をしているかの方が実はもっと大事なのではないかと思います。大学はそれを受験生たちにしっかりと宣言するべきです。……と、えらそうなことを書きましたが、大学の広報物をつくっている私自身への課題でもあります。最近の就職活動事情を調べていて、そんなことをちょっと感じてしまいました(すごく反省)。

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