わざわざ言うことでもないのですが、知識を詰め込むことだけが、大学でやるべきことではありません。いろいろなことに取り組んで人間的に大きく成長すること、それもまた大学生活でやるべき大切なことです。
課題解決型の授業やゼミ、クラブ活動、ボランティアなど、大学には学生を大きく成長させる取り組みが数多くありますが、中にはかなりユニークなものもあるようです。
「東大みかん愛好会」、駒場キャンパスでみかん5,000個を無料配布!
みかんに特化した学生団体、「東大みかん愛好会」は21日と23日の2日間、全国柑橘消費拡大協議会と連携し、東京大学駒場キャンパスでみかん5,000個の無料配布を実施する。(後略)
今回、この話題を取り上げたのは、最近、学生たち主導の活動をいろいろと取材する機会があって、ちょっと思うことがあったからです。というのは、最近というか何年も前から、“最近の学生は冷めている”とずっと言われ続けていますが、実はぜんぜんそんことないんです。
学生たちを取材すると、多くの学生は熱中できるものを探しているし、ひとたび熱中するものを見つけるとグイグイと成長する。熱中している取り組みについて学生に聞くと、聞いたことを答える、じゃなく、伝えたいことを語る取材に変わることが多く、その前のめりな感じはインタビュアーとして心地よいです。
では、なぜ、学生は冷めていると言われるのでしょうか。
おそらく、こういったテーマが語られるとき、団塊の世代の学園闘争が比較対象によくあがると思います。でも、あれはたまたま多くの学生が一つのトピックに集まったこと、それが政治色の強いトピックだったこと。そして打ち込み方が過激(ときには反社会的)だったことで、マスコミに頻繁に取り上げられ、熱い学生のイメージが社会に広まっただけのように思うのです。
実際のところ、今のほうが学生たちの取り組みにバリエーションがあり、大学もそれら取り組みを支援する機運があります。それに、就職面接でのアピール材料になるという、やや打算的な考えから参加する学生もたくさん出てきています。こういったことを考えると、何か活動に打ち込んで熱くなっている学生の数は、学園闘争の時代より、むしろ増えているんじゃないでしょうか。
ただ、活動内容が多岐にわたるため、すべてをひとくくりにして取り上げることができない、つまりは学生たちの取り組みが“社会現象”という形にはなっていない。ただそれだけのことじゃないかと思います。
だから、マスコミも、学園闘争に昔あけくれていたオジサンたちも、“最近の学生は冷めている”なんて、学生たちに冷や水をかけるようなことを言わないで、熱い学生たちの姿に注目して欲しいし、エールを送ってあげて欲しい。社会を活気づかせるうえでも、そういう視点が大事なんじゃないかと思うのです。なんせ、若者たちがこれからの社会を担うわけですから。
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