2015/12/05

この国の豊かさとは何か、国立大の予算削減から思うこと


大学進学は受験生にとって将来を左右する大きな選択であるとともに、親にしては人生で五本の指に入るくらい大きな出費のタイミングでもあります。そのため、なかには出費の多さに頭を抱え、大学進学させることをためらう家庭だってあるように思います。

こういった家庭にとって国立大学は、学費が安く、教育機関として信頼もでき、非常に魅力的な選択肢です。しかし、今後この国立大の学費が大きく値上がりする可能性があるらしく、それが議論を呼んでいます。

以下、朝日新聞デジタルより。

国立大授業料、54万円が93万円に 2031年度試算  
文部科学省は1日、年間約54万円の国立大学授業料について、2031年度には93万円程度に上がるという試算を示した。大学の収入の核となる国の運営費交付金が大幅に減らされる可能性があり、大学が減らなければ、授業料で減収分を賄う必要性があるという。(後略)

文部科学省の調査によると、2013年度の段階で私立大文系の授業料の平均はおよそ74万円。理系や医学部など、すべてひっくるめた平均だとおよそ86万円。となると、今回の記事にある2031年度の国立大の授業料は、この段階の私立大の学費を上回ります。

15年以上先の話しなので、私立大も大きく値上げしているかもしれません。でも、費用面での私立大と国立大との差というのは、今後、この予想通りにいくなら限りなくなくなっていくことになります。

しかしそうなると思うのですが、受験生や保護者にとって、学費の安さこそ国立大の大きな魅力だったんじゃないかと。これが崩れると、国立大とは何なのか? なぜ私立大と国立大をわける必要があるのか? そんな声があがってくるように思います。

実際のところ、なぜ国立大はあるのでしょう? とても突き詰めたもの言いをすると、それは国を豊かにするためです。私立大はある個人の理想や哲学をもとにつくられたり、特定の宗教の教えをもとにつくられたりします。しかし、国立大は、戦前であっても、現在であっても、変わらずにこの国を豊かにするためにあります。

じゃあ、なぜ国を豊かにしなくてはいけないのでしょうか。それはこの国に住む人たちが豊かになるためです。しかし、豊かさは、時代が変わるに連れ、その意味を少しずつ変えてきました。昔は欧米諸国に追いつき、同じような生活をするという物質的な豊かさに主眼が置かれていました。しかし、今は物質的な豊かさに限界が見え、豊かさはより個人に帰属するものになってきました。

こういった時代だからこそ、人が豊かになるために、また豊かとは何かを知るために、学ぶことはとても大事なことだと私は思います。国をよりよい方向に引っ張っていくため、技術革新を起こすため、そのための人材育成という側面は確かにあります。でも、教育とはそのためだけのものではないと、私は思うのです。

国を豊かにするために、国立大がある。そして、国の豊かさとは、国民が豊かになることである。もし、この考えが正しいのであれば、国が学びを受ける機会を狭めるというのは、そもそも国とは何のためにあるのかという、すごくメタな問題にぶち当たるのではないでしょうか。

今回の議論をポジティブに捉えるなら、これは国立大って何だろう? 国って何だろう? そして、豊かさって何だろう? そんなそもそものことを、もう一度みんなで考える絶好のチャンスをもらえたということなのかもしれません。

財政的な側面だけでなく、数値ではあらわせない側面にしっかり踏み込んで議論がなされないと、国民から理解を得られないでしょう。それに、財政の話は減るか減らさないかに終始しますが、こういった別の視点が入ってくることで、新たなアンサーが生まれるかもしれません。そのためにも、まずは多くの人を巻き込んで、しっかりと話し合うことが大切なのではないか、私はそう思います。

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