分野はともあれ、内容はともあれ、そこにどっぷり浸かっていたら、当然のこととして疑わないことってありますよね。それは大学に関わることでもそうなのですが、そういう当たり前に対して異を唱えるのを見聞きすると、ときに、とても“はっ”とさせられます。
以下、YAHOO! ニュースより。
欽ちゃん 駒大を“積極的”留年「大学が楽しいもんで…もう1年ド~ンとやってみよう」
駒沢大仏教学部4年に在籍しているタレントの萩本欽一(77)が、取得単位が不足しているため今春で卒業せず、留年することが3日、分かった。
欽ちゃんは本紙の取材に「大学が楽しいもんで、もっといたくなっちゃって単位を取らなかった」と積極的な留年であることを明かした。「ゆっくりと勉強したいというのが一番。もう1年、ドンとやってみよう!ってことだね」と4月からの“5年生生活”に目を輝かせている。(後略)
昨年、『50歳からの大学案内 関西編』という書籍をつくるに当たり、たくさんの50歳以上の大学で学ぶ人たちを取材しました。そのなかには、今回の欽ちゃんのように、卒業にこだわらない人がたくさんいました。基礎が学べる大学1、2年が終わったら休学してしまった人や、通信制大学院で10年以上かけて学んでいる人など、多彩な学び方を目の当たりにしました。
社会一般的に、留年せずに卒業するということが、当然めざすべき学び方だと思われています。でも、この学び方を本当に必要としているのは、就職活動が控えている若い学生だけなんですね。新卒というブランドがあると就職しやすい、留年だと面接官に悪い印象を与える、ただそれだけです。あと、金銭面の問題もあるにはありますが、これは長期履修生制度などを使えば、修業年限を伸ばしつつ支払う学費の総額をほぼ変えずに済むので、やりようによっては何とかなります。
生涯教育を目的に大学進学をする人は、大卒の資格を使って就職活動をしようと、まず考えていないでしょう。そうなると、卒業しなくてはいけないとか、必修科目はとらなくてはいけないとか、試験を受けて合格しなくてはいけないとか、そういった“しなくてはいけない”が一気に吹っ飛びます。そうなると、欽ちゃんのように、もうちょっと学びたいから留年という選択もできるし、逆に満足いくところまで学んだから途中で退学という選択だってできるようになります。
こういう柔軟な学び方が、もっと社会に認知されるようになると、(生涯教育目的の)社会人進学へのハードルはぐっと下がるのではないでしょうか。
でも一方で、大卒の資格にこだわらないのなら、そもそも社会人進学をする意味なんてないんじゃないの、と考える人もいるように思います。しかし、私としては、社会人進学は公開講座のようなライトな学びと違う体系化された学問に取り組むことができ、趣味という枠を越えて、一定期間その分野に没頭した(人生のなかに、それを学ぶことを主題にした)時間を手に入れることができるという意味で、とても価値があるように思うのです。学位の有り無しとか、就職活動への有利不利だけが、進学する意味ではありません。
卒業を第一目的とせず、純粋に学びたい人のために、社会人進学はどうあるべきか。これは制度の問題というより、生き方や社会のあり方の問題のような気もします。「人生100年時代」に突入していくわけですし、こういうことをもっと真剣に考えるべきときがきたのかもしれません。欽ちゃんのような社会的に注目される人が、”留年”を決断したというのは、そのいいあらわれなのかな、という気がします。
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