長い間、大学広報にかかわっていると大学の周年事業のお手伝いをすることがあります。
これら周年事業でやるべきことは、大学のこれまでをふりかえる、大学のこれからを考える、大学にかかわる人や社会にここまでくることができたことの感謝を伝える。大きくわけてこの3つなのではないかと考えていました。
いや、考えていましたというか、今でもそう考えているんですが、でも最近はそれだけではないのかなと感じるようになってきました。きっかけは、京都精華大学の創立30周年事業をまとめたコンテンツ「自由へのメッセージ」を見たことによってです。
▼京都精華大学創立30周年記念事業「自由へのメッセージ」
京都精華大の創立30周年事業は1998年に実施され、去年の秋に「自由へのメッセージ」にまとめなおされてウェブコンテンツ化されました。のぞくとわかるのですが、このコンテンツ、ほんとにスゴイです。
コンテンツには、アウンサンスーチー、ジョゼ・ラモス・ホルタ、ダライ・ラマというノーベル平和賞受賞者3氏の独占インタビューが掲載されています。
なぜ、この3氏なのかというと、京都精華大の建学理念が「自由自治」であり、3氏は“自由”のために闘争を続ける人たち、そこには“自由”というテーマをもとに相通じるものがあるのではないかと考えられるからです。
三者三様の視点から語られるインタビューは、インタビュー実施から15年以上が経っている現在であっても新鮮な驚きや興奮を感じさせます。おまけにインタビューの様子がページ左側に常時映し出されており、当時の雰囲気がとてもよく伝わってきます。
このコンテンツ(というより事業)は、冒頭で挙げた周年事業の一般的な目的のどれにも当てはまらないものです。勝手に解釈するなら、私たちとは何ものなのかを検証する、というのがこの事業の目的なように感じます。
国の方針によって生まれた国立大学とは違い、私立大学はどの大学であれ、日本をこうしたい、こういう人材を育てたいという創設者の強い想いがあってつくられました。そして、この想いを純化したものが建学理念です。建学理念とはその大学をその大学たらしめているもの、アイデンティティそのものです。
建学理念自体は、どれもある程度の普遍性が備わっているように思います。しかし、その解釈であったり、実践であったりは時代が変わるたびに少しずつ変わっていっていきます。
たとえば、京都精華大がかかげる「自由自治」。大学闘争があった1960年代なら、この言葉から学生たちによる大学自治をイメージする人が多かったように思います。でも現在だと、より精神的なもの、個人的なものをイメージする人が多いのではないでしょうか。
京都精華大は、時代の先端で「自由」を求めて行動する人たちの声を聞くことで、そしてそこから「自由」とは何かを深く考えることで、自分たちのアイデンティティを検証・調整・再確認しようとしたのではないかと思います。
これは10年、20年、さらにずっと先まで、京都精華大が京都精華大としてあゆんでいくために、とても重要な行為です。そして周年は、この行為をするのに打ってつけのタイミングのように思います。
ちなみに京都精華大は40周年事業と45周年事業の事業内容をまとめたコンテンツも、それぞれ公開しています。45周年事業は、以前、このブログでも紹介したダライ・ラマ法王とよしもとばななさんの対談&インタビューです。40周年事業も世界レベルの豪華な取り組みをしているので、くわしくは下記URLからご覧ください。
大学とは何なのか、周年という貴重なタイミングをどう活用するのか、京都精華大の取り組みは、これを考えるよいきっかけになります。また、このある種の自問自答をコンテンツ化してウェブで発信することは、大学が自分たちは何ものなのかを社会に広く伝えることに他ならず、魅力的なPR材料になるように思います。
▼京都精華大学創立30周年記念事業「自由へのメッセージ」
▼京都精華大学創立40周年記念事業レポート
▼京都精華大学創立45周年記念事業 ダライ・ラマ14世講演レポート
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