2014/02/22

大学教育の質と、教育をどう伝えるか

大学教育の質の低下は、近年の大学論的なものを読むと必ず出てきくる鉄板ネタです。
実際、大学の広報物をつくっていると、文章の書き方や本の読み方、図書館での本の借り方など、授業を受けるための授業をよく目にしますし、これら基礎の基礎をしっかりやることを売りにする大学も多くあります。

しかし、一部の識者の目には、こういった勉強は大学にふさわしくないと写るんでしょうね。be動詞から教えている大学がある、分数ができない学生がいると憤っている記事が産経ニュースにありましたのでご紹介します。

以下、産経ニュースより。


大学の質低下 文科省の責任も問われる 
少子化で受験人口が減る中で、大学教育の質低下が顕著になっている。文部科学省が新設大学などを対象にした調査では、英語の授業で中学程度の基本的な文法を教えている大学もあった。文科省と大学は高等教育の教育改革に真剣に対応してもらいたい。(後略)


記事を要約すると、大学の教育レベルがびっくりするほど下がっている。さらに今後、少子化が進んでいくわけだから、文科省は大学の質向上に真摯に取り組むべきだ、といった内容です。

……よくある内容です。でも、この問題は、ずっと言われていることですが、はたしてどうなんでしょう。私としては、大学として設置基準を満たしているのであれば、ここで書かれているような“質の低い教育”をすることはありだと思っています。だって、現にそれを必要とする人がいるわけですから。読み書き学科だって、ビジネスマナー学部だって、コミュニケーション能力育成専攻だってあっていいと思います。

ただ、大学で教えるのなら、きちんと教えないといけませんよね。記事では高等な学問を教えること=“質の高い教育”という風に書いていましたが、そうではありません。初歩的な内容であっても、それを知りたいと思っている人たちにわかりやすく教えることができたら、それはそれで“質の高い教育”です。
まぁ、記事には教員数が設置基準を満たない大学・短大も多くあると書いてあるので、後者の意味でも“質の低い教育”をする大学がけっこうあるのかもしれませんが……。

ともあれ、設置基準を満たしていて、かつ、どんな教育を提供するかを掲げ、その教育をしっかりとしているのであれば、大学の教育内容に文句を言う必要はない、と私は思っています。もしその教育内容が必要とされていないものであれば、自然淘汰されるわけですし。

よくないのは、大学は高等教育機関であるというタテマエを意識して、本当にやっていること以上に背伸びをした内容を謳ってしまうことです。
もちろん、自校の教育内容をアピールするのであれば、よく言いたくなるのはわかります。でも、すべての大学がトップレベルの研究をしているわけでもないし、する必要もありません。それぞれが自校の教育資源を使って、どんな教育ができるか、それによって学生たちを、どう成長させられるのか。それを真摯に考え、発信していけば、大学教育はより多様性のあるものになるし、高等な学問をすることだけが大学教育ではないと社会に伝えることにもつながると思います。

私自身、大学広報に関わる身なので、途中からブーメランのように、言葉がサクサクと自分に刺さっています。でも、本当にそうなんです。タテマエではなく、その大学の教育の本質を上手に表現してこそ、大学にとっても、受験生にとっても、良い広報なわけで、それをするのが私の仕事なんですよねぇ……。なんか自分語りになりそうなので、今日はここまで。大学教育をどう伝えるかという話でした。

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