2019/04/20

年輩者の底抜けの学習意欲を、大学はどう受け止めるのか(放送大)


昨年末に『50歳からの大学案内 関西編』という書籍を書いたからでしょうか、今年は年輩の方の大学進学や卒業の記事がよく目につきます。書籍の取材のときにも感じたのですが、歳を取られてから進学される方のエネルギーというのは本当にすごいですね。でも、そのエネルギーにちゃんと応えられる学びを大学は提供しているのでしょうか。記事を読みながら、そんなことを思いました。

以下、朝日新聞デジタルより。


放送大学、101歳の卒業生 「異次元のすごさ」秘訣は 
札幌市に住む101歳の加藤栄さんが3月24日、放送大学を卒業した。80歳代で科目履修生として入学。95歳で最初の卒業をしてからも、コースを変えて学び続け、4度目の卒業を果たした。秘訣(ひけつ)は「興味を持ち続けること」と、飄々(ひょうひょう)と語る。(後略

読んでるだけで元気がもらえそうな記事です。今回の記事で紹介されている加藤さんは、4回も放送大学を卒業しています。でもこれは、年輩の方の学び方として、特段めずらしいわけではありません(さすがに4回は多いですが…)。

私がこれまで取材してきた方のなかにも、何度も大学に入り直したり、あえて卒業せずに学び続けている方にたくさん出会いました。月並みな言葉ですけど、学ぶことに終わりなんてないのです。そして、学ぶことに終わりがないのであれば、4年という枠組みにも、卒業という制度にも、あまり意味がないように思います。

実際、長期履修学生制度を使って、4年に縛られず自分のペースで学ぶ年輩の方は多いです。それに、卒業にこだわらない年輩の方は、どの科目群から何単位…といった履修計画を立てず、好きな分野ばかりを学んでいました。卒業が目的じゃなく、学びたいことを学ぶのが目的なら、履修のバランスなんて無視しても問題ありません。むしろ、そっちの方が、年輩の方の大学活用法としてふさわしいとすら思えます。

じゃあ、現在、卒業にこだわらず存分に学べる教育プログラムが大学にあるのかというと、これってあまりないんですね。加藤さんが4回も放送大学を卒業したのは(しなくてはいけなかったのは)、まさにこういったプログラムがない証拠だとも言えます。

公開講座は知的好奇心をくすぐるけど、体系的に学ぶのには適していません。履修証明プログラムは一つのテーマを適度に深めるのにはいいけれど、実施している大学が少なく、テーマが限られています。科目等履修生制度は、使いようによってはありかもしれません。でも、どれをどう履修していくべきかを自分で判断するのは、なかなか困難です。そして、これらをのぞくと、残るは通信制や専門職大学院など、いろいろなタイプがあるものの、基本すべて大学や大学院への進学になり、卒業を前提とした学びになります。

年輩の方に限ったことではありませんが、人の知的探究心にはすごいものがあります。とくに「人生100年時代」といわれる昨今、探究心だけでなく、時間も(場合によってはお金も)ある方が増えてきています。卒業というゴールにこだわらず、じっくり時間をかけて厚みのある学習ができるプログラムというのが、今こそ必要なのではないでしょうか。

それに、底抜けの学習意欲や知的探究心を真正面から受け止める教育プログラムというのは、ある意味、高等教育機関のベースとなるべき教育の姿のようにも思います。ぜひ我こそはという大学にチャレンジしてもらいたいです。

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